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東京高等裁判所 平成3年(行コ)145号 判決

控訴人(原告) ガルサ・トッド・ハッタン

被控訴人(被告) 国

訴訟代理人 小池晴彦 岩佐勝博 谷口悟

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取り消す。控訴人が東京高等裁判所昭和六三年(う)第一二五七号覚せい剤取締法違反、関税法違反被告事件の判決によつて負担を命じられた訴訟費用中、金一一万八〇五〇円を被控訴人に納付する義務がないことを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、原判決の事実摘示のほか、別紙添付書面のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  刑事訴訟における訴訟費用負担の裁判について

右裁判の性質を、本来司法作用・行政作用のいずれに解するかについてはしばらく措き、右裁判について、刑事訴訟法が、これを、本案(公訴事実の存否・量刑)の確定手続過程に付随して処理されるべきものとしている(刑事訴訟法一八五条~一八七条)ことは明らかである。

もとより、訴訟費用の負担について、公訴事実の存否確定手続とは独立別個の手続によりこれを判定し、確定させる立法も考えられないではないが、訴訟費用そのものの存否・範囲の判定は、本案である公訴事実の存否及び量刑に関する判断と密接に関連する事項であり、かつ右手続に付随するに過ぎない事項であることからすれば、これを本案と別個独立の手続で判定させることは、手続を煩雑にし、事案全体の早期確定の要請からも到底得策とはいえない。

問題は、現行法の右のような手続構造の採用が、憲法上の手続保障の理念に反しないかどうかである。

控訴人は、訴訟費用負担の裁判について本案とは別個独立に不服申立てが認められていないことを捉えて、日本国が締結した市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条三項(f)ないし二条を無視するものであり、条約の誠実な遵守を要請する憲法九八条二項違背の疑いがあると主張する。

しかしながら、憲法はもとより控訴人が援用する国際規約に照らしても、訴訟費用負担の裁判についてどのような手続構造を採用するかは、全く立法府の裁量に委ねられているものと解せられるのである。要は、右裁判手続が、裁判を受ける者に対して手続保障(事前に意見弁解を主張し立証する機会)が認めているかどうかである。そして、当裁判所はこれを肯定するものである。

即ち、刑事裁判の各審級においては、本案のみならず訴訟費用についても弁論をなしうることはなんらの制限も受けない。もっとも、刑事訴訟法一八五条後段による不服申立ての制限があるが、訴訟費用の裁判の対象は、前記のとおり、あくまでも本案に付随した事項であるにすぎないこと、本案について迅速な解決が要請されていること等からすれば被告人にとって耐えがたいほどの措置とまではいえないと解されるし、また、刑訴法四一一条によれば、上告裁判所は、たとえ上告理由に当たる事由がない場合であっても、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があれば、原判決を破棄することができると明示しており、当該事案について憲法を含む法令違背の状態を可能な限り是正すべき余地を残すよう立法上の措置がなされているのである。

更に、例えば、負担すべき訴訟費用が存在しないのに、負担を命じたとしても、右裁判は無効として、執行不能である(最高裁判所昭和三〇年七月一九日判決裁判集刑事一〇七号五七一ページ参照)とされており、もし、当該訴訟費用負担の裁判に疑義があるときは、裁判確定後、言渡裁判所に裁判の解釈を求める申立てをすることも可能である(刑訴法五〇一条)とされている。

ところで、最高裁判所平成四年七月一七日判決(裁判所時報第一〇七九号三ページ)によれば、検察官が訴訟費用負担の裁判の執行のため発した徴収命令に対しては、言渡しをした裁判所に対する異議の申立て及びこれについてされた決定に対する即時抗告という特別の不服申立手続によるべきであって、民事執行法に定める請求異議の訴えによることは許されないと判示されているが、右は、訴訟費用の裁判に対する不服は、刑訴法の定めるところによってのみ申立てができると上来説示してきたところと符節を合するものと解される。

二  国際規約に基づく請求について

控訴人は、本件訴えは、国際規約に基づくものであり、そして、国際規約は国内法上、憲法より上位又は同等の効力を有するのであるから、下位法たる法律により、本訴請求が行政訴訟手続による審判の対象とはなりえないとするのは背理であると主張する。

しかしながら、右主張は失当である。即ち、控訴人のいう本件国際規約は、外国人の刑事被告人に対しなされた訴追手続において、必要な場合、無料で通訳の援助を受ける権利があるとするものであるから、右規約の内容は、外国人の被告人について、通訳費用を負担する義務の有無という事項に関するものであることは明らかであり、これをいかなる手続で審理されるべきかという問題とは直接関係がないのである。

三  憲法に基づく請求について

控訴人は、本訴請求が行政訴訟手続により許されないとすれば、憲法(ないし国際規約)に直接基づいて請求するものであるという。

しかしながら、憲法に基づく直接請求については、控訴人自ら認めているように、基本的人権を具体的に保障実現する手続が存在しない場合に初めて許されるものであるところ、本件においては、外国人被告人の通訳費用負担の帰属についてこれを争い、負担を免れるべき手続保障の有無こそがまさに本件の中心的問題にほかならない。そして、当裁判所は、すでに述べたとおり、これを刑事訴訟法の枠内で争うことができ、かつ、争うべきであると判断するものである。従って、この点に関する控訴人の主張も失当として採用できない。

四  以上述べたところ以外は、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

してみれば、控訴人の本件訴えは不適法であって却下を免れない。

五  以上の次第で、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山下薫 高柳輝雄 豊田建夫)

別紙

準備書面

第一本件訴えの適法性について

一、訴訟費用負担の裁判の性質

1 原判決は、訴訟費用に関する裁判は、「刑事訴訟の事件を担当する裁判所が、その刑事裁判権の行使の一環として、判決、決定のような裁判の形式をもってこれを行うのであるから、有罪判決と同様に刑事判決の内容となっているものというべく、原告〔控訴人〕の右主張は理由がない」と判示している。

2 しかし、控訴人が一九九一年一〇月七日付準備書面で引用した大審院判決(大正三年五月二八日・刑録二〇巻一〇三四頁)が、「公訴裁判費用ノ言渡ハ刑ノ言渡ニ非サレハ其法条ヲ明記セサルモ不法ニ非サル」と明瞭に判示しているとおり、訴訟費用の負担を命じる裁判は、刑事判決の内容となっているとは言えないものであり、原判決は、右大審院判決に反するものである。

訴訟費用負担の裁判が刑事判決の内容をなすものではないという点は、また、訴訟費用の負担の裁判を遺脱し又は数額の認定を誤った場合には、上訴審は自由にこれを訂正することができ、その場合には不利益変更禁止の規定が適用されないとの先例(最高裁第一小法廷昭和二六年三月八日判決・刑集五巻四号四九五頁参照)、あるいは、訴訟費用が存在しないのに負担を命じた裁判が確定した場合には、当該裁判は当然に無効であるとの先例(最高裁昭和三〇年七月一九日判決・裁判集刑事一〇七号五七一頁)からも首肯されるところである。これらの判決は、訴訟費用負担の裁判は刑事裁判所が下すものであっても、刑法に規定された刑(刑法九条)を下すものではなく、単に経済的負担を課するものに過ぎないものであることから、不利益変更禁止の規定は適用されず、また、あたかも通常の行政処分のように当然無効の法理が適用されることを示しているのである。

原判決は、行政事件訴訟法に基づき行政事件を審理判断する裁判体が刑事訴訟の事件を担当する裁判所の裁判の当否を判断することはできず、「仮にも、そのような判断の余地を肯定すると、結局行政事件訴訟によって刑事訴訟手続による裁判の取消し又は変更を求めることができることとなり、刑事訴訟法に規定されていない別個の上訴制度を創設したに等しい結果となるのであって、この結果が刑事訴訟法の認めないものであることはいうまでもない」と判示する。しかし、原判決の言うとおり訴訟費用負担の裁判が刑事判決の内容をなすものであれば、そのような性質を有する裁判が当然に無効であるなどという結果は、ありうべからざることであり、およそ刑事訴訟法が認めないところと言わなければならないであろう。しかるに、前述のとおり、最高裁判所は、訴訟費用負担の裁判については、そしてこのような裁判についてのみ、当然無効の法理を採用しているのである(最高裁が上告棄却決定をし、異議申立期間経過後に弁護人から右決定前に被告人が死亡していたことを理由とする公訴棄却の決定を求める旨の申立があっても、この申立てを不適法とした最高裁大法廷昭和三〇年七月一八日・刑集九巻九号一八七八頁は、右のような上告棄却決定も当然には無効ではないとしているものと解される)。このことは、最高裁が、訴訟費用負担の裁判は通常の刑事裁判とは全くその性格を異にするものであることを前提としていると見なければ、説明がつかないことである。

3 これを要するに、訴訟費用負担の裁判は、国家機関たる裁判所が関与したことによって生じた費用を誰が、いくら負担すべきかを明らかにするものに過ぎず、その意味では営造物の利用者がその利用に対して反対給付を徴収されることと類似している(もちろん刑事裁判制度の「利用者」は、自発的にこれに関与するわけではないという相違はあるが)というべく、「刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的」(刑事訴訟法一条)として行われる刑事裁判とは到底言いえないのである。

4 このように、訴訟費用負担の裁判は、その性質上、刑事裁判の内容をなすとは言いえないものであり、その実質は司法府による行政行為とも言うべきものである。したがって、この裁判に対する不服申立ての制度が刑事訴訟法の枠内で設けられていない以上――この点については後述――、これに対する不服申立てが行政訴訟において認められなければならないのである。

二、条約に基づく請求――条約優位説

1 仮に、原判決のとおり、訴訟費用負担の裁判が刑事裁判の内容をなすものと考えるとしても、刑事事件と行政事件を峻別し、後者を審理する裁判体が前者の当否を判断することはできないとする原判決は、本件訴えが条約に基づく請求であることを看過したものとして、誤りを犯したものと言わざるを得ない。

すなわち、控訴人の請求は、当初から明らかにしている如く、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という)一四条三項(f)に基づくものであり、この条約は、一九七九年九月二一日、日本国について発効したものである。憲法は、「日本国が締結した条約…は、これを誠実に遵守することを必要とする」(九八条二項)と規定し、最高裁も、右規約が国内法的効力を有することを当然の前提としている(最高裁第一小法廷昭和五六年一〇月二二日判決・刑集三五巻七号六九六頁)。

そして、憲法が前提としている国際協調主義(前文参照)ならびに、いわゆる日米安全保障条約に対する司法審査について、「違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであ〔る〕」とした最高裁大法廷昭和三四年一二月一六日判決(刑集一三巻一三号三二二五頁)の趣意に照らせば、日本国が締結した条約は憲法に優先する上位規範たる性質を有するものというべきである。

2 ところで、一般的に条約という観点から見るならば、一国の司法がどのような事件に及び(たとえば、民事事件と刑事事件だけとするか、あるいはこれとは別に行政事件にも司法審査を及ぼすか等)、その事件を担当する裁判所としてどのようなものを設けるか(民事裁判所と刑事裁判所とするか、行政裁判所を設けるか、あるいは憲法裁判所を設置するか等)は、直接には関知するところではなく、原則としてそれぞれの締約国の自律に任せられるべき事柄である。しかし、他方、条約は、その文言に反するような結果をもたらす法制度は是認しないのである。

これを本件について見るならば、自由権規約一四条三項(f)は、

第十四条

3 すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、少なくとも次の保障を受ける権利を有する。

(f) 裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。

と規定しているのであり、これが同条項の適用を受ける者の個人的権利であって、単なる制度的保障でないことは言うまでもないところである。したがって、自由権規約は、各締約国がいかなる裁判制度を採ろうとも、この一四条三項(f)の規定に反してはならない旨を命じているのである。

この場合に、締約国は、右条項に基づく救済の申立てを拒絶するために、「訴訟費用の裁判は、刑事事件を審理する裁判所が下した判決の一部であるから、行政事件を審理する他の裁判所がこれを変更等することはできない」とすることはできない。自由権規約は、締約国においては、いかなる裁判所の審理であろうとも、刑事上の罪が決定される手続では、右(f)の保障が与えられなければならないとしているのであり、締約国の国内法的な事件分配・権限分配にしか過ぎない刑事事件と行政事件の分別などは意味を持たないのである。そして、苟も右権利が侵害される場合には、これに対する救済がなければならないのであり、むしろ、救済が存在しなければ権利ではない、と言っても良いのである。国内法によって自由権規約に基づく救済を否定するのは、その実質においては、自由権規約の保障が個人の「権利」であることを否定するものである。

したがって、仮に原審において本件訴えが不適法であるとして却下しようとするのであれば、刑事訴訟法と行政事件訴訟法に基づく裁判所間の権限分配を言うだけでは不十分なのであり、現行の刑事訴訟法の中で右(f)の保障を満たすような特定の救済方法が規定されていること、にもかかわらず原告がその救済方法を選択しなかったことを述べなければならなかったのである。しかるに、原審は、そのような救済方法が刑事訴訟法に規定されていることを全く述べることなく、本件訴えを却下したのであり、理由不備の誹りを免れないものというべきである。

なお、原判決は、「刑事訴訟における訴訟費用の裁判においても、それなりの不服申立手続は用意されているのである」(一、3)と述べるが、そこでいう「それなりの不服申立手続」とは、「本案の裁判について上訴があつたときに限り、不服を申し立てることができる」(刑事訴訟法一八五条)というものであり、しかも、この「本案の裁判について上訴があつたとき」とは、その上訴が理由がある場合に限るとするのが確定した最高裁の判決である(最高裁第一小法廷昭和二三年一〇月二六日判決・刑集二巻一一号一三九九頁)。被告人に対する訴訟費用負担の裁判は、刑事判決の言渡しと同時になされるところ、被告人は、自由権規約一四条三項(f)違反を理由として右訴訟費用負担の裁判に不服申立てをしようとしても、この不服申立は単独ではなしえず、本案の裁判に対する不服申立てと同時にしなければならない。しかも、本案について理由がなければ、訴訟費用についての不服申立ては、そもそも判断すら受けえないのである。このような「不服申立手続」が自由権規約一四条三項(f)に対する救済手段として不十分であることは明らかであろう。原判決も「それなりの」と言わざるをえなかった所以である。

このように、現行の刑事訴訟法においては、自由権規約に一四条三項(f)違反に対する適切な救済方法が規定されていないのであるから、その救済を求める本件のような訴訟類型は適法なものとして認めなければならないのである。

3 さらに言えば、適切な救済方法が規定されていないこと自体が、自由権規約に反するものである。すなわち、同規約は、二条で、

二条

2 この規約の各締約国は、立法措置その他の措置がまだとられていない場合には、この規約において認められる権利を実現するために必要な立法措置その他の措置をとるため、自国の憲法上の手続及びこの規約の規定に従つて必要な行動をとることを約束する。

3 この規約の各締約国は、次のことを約束する。

(a) 〔略〕

(b) 救済措置を求める者の権利が権限のある司法上、行政上若しくは立法上の機関又は国の法制で定める他の権限のある機関によつて決定されることを確保すること及び司法上の救済措置の可能性を発展させること。

(c) 救済措置が与えられる場合に権限のある機関によって執行されることを確保すること。(傍線代理人)

と規定しているのである。すなわち、自由権規約において認められる権利を実現するために必要であれば立法措置その他の措置を講じなければならないのであり、また救済措置を求める者の権利が司法上の機関等で決定されなければならないのである。

他に何らの実効的な救済方法がないことを認めつつ、本件訴えを却下した原判決は、自由権規約について全く顧慮しなかったこと評されても止むを得ないであろう。

三、条約に基づく請求―法律に対する条約の優位

1 ところで、憲法と条約との優劣について、二で述べようないわゆる条約優位説を採らなかったとしても、本件訴えが適法であるとの結論においては変わりがない。

すなわち、仮に条約と憲法がその効力において同等であるとすれば(憲法と条約の優劣が問題になるのは両者が矛盾する場合を念頭に置いてのことであるから、このような論が存在するかは疑問であるが、訴訟費用の負担という問題を考えるにあたっては、憲法と自由権規約が矛盾することはないから、この論も仮定としては成り立ちうると言えよう)、請求の根拠をどの法規範に求めるかは請求者(本件では原告・控訴人)の自由な選択によるべきものであるから、自由権規約に基づき請求をなすこと自体が許されることは明らかである。そして、憲法のレベルでは、刑事事件における通訳人の費用を日本語に通じない被告人に負担させないという自由権規約の保障と矛盾する規定がないことは明らかであるから、あとは、自由権規約に基づく請求と法律との関係を考えればよいことになる。ところで、いかなる学説に立とうとも、条約が法律に優先することは争いがないから、国内法たる刑事訴訟法と行政事件訴訟法に基づく権限分配を理由として条約に基づく請求を拒絶することはできないという、前記二の議論がここでもそのままあてはまるのである。

したがって、条約と憲法がその効力において同等であると解する場合であっても、自由権規約に基づく請求が不適法とされるべきではないのである(なお、憲法と条約が同等の効力を有する場合には、後法優位ないしは特別法優位等の一般原則によって両者を律することになるとも考えられるが、このいずれの原則を用いた場合であっても、刑事事件における通訳費用の負担については自由権規約が優先されることは自明である)。

2 次に、条約と憲法との関係について、憲法が条約に優先すると解する立場に立った場合であっても、本件が適法であるとの結論には影響がない。

まず一般的に言って、下位法が、上位法での保障よりも大きな保障を与えている場合がある。その適例は、公判廷での自白に関する憲法と刑事訴訟法の各規定である。憲法は「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」とするが(三八条三項)、この「本人の自白」には公判廷における被告人の自白を含まないとするのが最高裁の一貫した見解である(最高裁大法廷昭和二三年七月二九日・刑集二巻九号一〇一二頁等)。これに対し、刑事訴訟法は、三一九条二項で、「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」として、公判廷での自白に関する保護を憲法より拡げているのである。

このように下位法によってより大きな保護を与えることができるのは、上位法において、下位法による保護の拡大を禁止していない場合である。上位法が、保護の程度ないし範囲を一定のものとすべきことを定めている場合には、下位法がその程度ないし範囲を勝手に変更することは許されないのである。逆に、そのような規制が上位法によってなされていない場合には、下位法は、その相当と認める限度において保護を拡張することができるのは当然である。

ところで、本件においては通訳費用の負担が問題となっているが、自由権規約は、日本語に通じない被告人にこれを負担させることを禁止しているのに対し、憲法がこの問題について一定の基準を定立し、これ以外の基準を認めない趣旨であるとは到底解されないところである。したがって、仮に条約が憲法より下位にあるという立場に立つ場合であっても、下位法たる自由権規約は、通訳費用の負担に関しては、相当と認める保護を被告人に与えることができるのであり、一四条三項(f)のように全く負担させないとすることも可能なのである。

そして、条約が国内法よりも優位と解すべきことは、憲法と条約の関係について如何なる立場に立っても同様であるから、自由権規約が一四条三項(f)の規定は、刑事訴訟法あるいは行政事件訴訟法よりも優先する。したがって、これまで述べてきたところから明らかなとおり、これらの国内法に依拠して自由権規約に基づいて請求を不適法として退けることはできないのである。

憲法が条約より優位に立つと解する場合に、自由権規約に基づく請求を不適法とするためには、刑事訴訟法に基づく裁判と行政事件訴訟法に基づく裁判とが憲法のレベルで区別され、両者の不可侵性が憲法において規定されていることが必要である。しかし、憲法は、裁判所において裁判を受ける権利(三二条)、拘禁の理由を公開の法廷で示される権利(三四条)、刑事被告人の諸権利(三七条、三八条)、遡及処罰・二重処罰の禁止(三九条)を規定し、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」(七六条一項)と定めるものの、刑事事件と行政事件について、これを区別し、両者を別個独立のものとするような規定は置いていない。むしろ、訴訟の類型としてどのようなものを認め、各裁判所にどのように分担させるかについては、原則として裁判所法及び各種の訴訟法に委ねているのである。この点に関しては、原判決も、「刑事訴訟における裁判に対する不服申立ては、その刑事手続の枠内において設けられた手続によってのみこれをすべきことは、訴訟法の建前上当然であり」(傍線代理人)と述べているのであり、刑事事件と行政事件に関する裁判所間の権限の分配が訴訟法レベルの問題であり、憲法が直接に命じているものではないことを認めているのである(現に、原判決は、刑事訴訟と行政事件訴訟との区別について論じた一の1ないし4においては、憲法については全く触れていないのである)。

このように、刑事事件と行政事件の区別は、憲法ではなく、国内法たる刑事訴訟法と行政事件訴訟法によって定められているのであるから、これに優先する自由権規約に基づく請求を、下位法たる両訴訟法の解釈によって不適法なものとすることはできないのである。

右のとおり、条約が憲法により下位にあると解する立場に立っても、通訳費用の負担の問題については、自由権規約の保障は文言どおりの効力を認められるべきであり、これより下位法であること明らかな「訴訟法の建前」によって訴訟の適法性自体を否定することは許されないのである。

四、条約と憲法に基づく請求

1 自由権規約一四条三項(f)は、先に引用したとおりの規定であり、これが個人の権利であることも前述のとおりである。他方、憲法は、二九条で財産権を保障し、三一条で法定手続を規定し、三二条で裁判を受ける権利を保障している。

訴訟費用の負担について本件のような訴訟類型を認めないことは、自由権規約一四条三項(f)並びに憲法二九条、三一条及び三二条に反するものである。

2 原判決は、「被告人に、訴訟費用の負担を命じられる事について、刑の言渡しを受けることとは別個の独立の不服があるのであれば、公判期日において、あらかじめその点に関し、不服である所以を述べ、証拠を提出するなどして防御権を行使することは十分可能である。…そうであるとすれば、本件訴訟費用に関する裁判において、原告は被告人として、あらかじめ防御権を行使する機会が与えられていたものということができる」としている。

しかし、既に控訴人が原審で引用した最高裁大法廷昭和四三年六月一二日決定(刑集二二巻六号四六二頁)は、「あらかじめ告知、弁解、防禦の機会が与えられていないからといつて」としているのであり、弁解ないし防禦の機会が与えられていれば十分だとしているわけではない。最高裁調査官も正しく解説しているとおり、適正手続の要件を満たすためには告知と聴聞の双方が必要である(母法である米国においても、必要とされるのはnotice and hearingであり、notice or hearingではない)。そもそも、どのようなことがなされようとしているかについて何らの告知もなされないところでは、これに対して適切な弁解や防禦のしようもないのである。ただ闇雲に、およそ将来ありうべきあらゆる措置を予想して弁解や防禦をさせるのは、決して「適正」な手続ではない。特に、本件における訴訟費用の裁判のように、原則として裁判所の自由裁量によって決すべき事項については、どのような裁判がなされるか予測できないのであるから、これに対して適切な「防御権を行使すること」は不可能であると言わざるを得ない。

3 現行の刑事訴訟法のように、被告人に訴訟費用の負担を命じる裁判については、本案について上訴があり、かつ、その上訴に理由がある場合にのみ右の裁判について不服を申し立てることができるとする制度は、憲法三一条及び三二条に反する。したがって、控訴人のように、自由権規約一四条三項(f)に基づく権利を有する者は、憲法三一条及び三二条に反する制度によってこの権利並びに憲法二九条に基づく権利を侵害されることになるのであるから、これに対する救済を受けうるのである。

(以下省略)

別紙

準備書面

一、被控訴人は、平成四年六月一八日付け準備書面において、控訴人の主張に反論するとしているが、その内容は、原審における主張を繰り返すのみであり、控訴人が前記準備書面で特に述べた、条約・憲法とその下位規範たる法律との関係については殆ど触れるところがない。

被控訴人の論理は、要するに、「B規約を含め我が国が適法に締結した条約は、国内においても法規範としての効力を有し、十分に尊重されなければならない」(被告の前記準備書面二、2)が、「B規約の趣旨を国内法的にどのように実現させるべきかについての施策の選択は、まずは国の唯一の立法機関たる国会の立法政策に委ねられている事項であ〔り〕」(前同)、「権利の救済の実現は、国内法としての法律の規定に基づいて適法な権限を付与された機関によって図られるべきものであることを予定しているというべきであって、それ以上のものではない」(前同)ところ、「我が国内法である刑事訴訟法は……刑事裁判権を行使する裁判所のみに刑事訴訟における訴訟費用負担の決定権限を認めており、行政事件に対する裁判権を行使する裁判所には、右に関する権限を認めてはいない」(被告の前記準備書面二、3)から、本訴は認められるべきではないというものである。

二、右のうち、「我が国が適法に締結した条約は、国内においても法規範としての効力を有〔する〕」旨の摘示は、このような命題が一般的に妥当するかどうか、講学上、non-self-executingとされてきた条約も直ちに「国内においても法規範としての効力を有〔する〕」か否かについては疑問があるが、自由権規約(B規約)が、講学上のself-executingな条約であることについては争いがないので、この点については、これ以上触れない。

三、被控訴人は、次に、「B規約の趣旨を国内法的にどのように実現させるべきかについての施策の選択は、まずは国の唯一の立法機関たる国会の立法政策に委ねられている事項である」(傍線控訴人代理人)と述べる。これについては、自由権規約を初めとする各種の人権保護条約で規定された各種の権利を具体的にどのように実現させるかについては、第一次的には国内法によるべきであるという意味であるとすれば、当然のことであり、とりたてて論ずるまでもない。

四、しかし、問題は、その次の段階である。自由権規約で保障された権利が、国内法では保障されていない場合にはどうなるか。これは、「国内法の規定が存在しなければ、それ以上の救済が求められないのか、それとも、国内法に優越する上位規範たる条約を根拠として、何らかの救済が認められるのか」という問題である。

これについて、被控訴人は、「権利の救済の実現は、国内法としての法律の規定に基づいて適法な権限を付与された機関によって図られるべきものであることを予定しているというべきであって、それ以上のものではない」(傍線控訴人代理人)と述べる。即ち、被控訴人は、自由権規約の内容がどのようなものであろうとも、その内容とこれを実現する方法については、挙げて国内法に委ねられているのであって、国内法に基づく救済以上のものは存在しないとしているのである。

このような論理がどのような結論を導くかは明白である。本件で問題とされている訴訟費用負担についていえば、刑事訴訟法の枠内では訴訟費用負担の裁判に対して権利としての不服申立て手続きが存在しないことは原審も認めているとおりであり、この点は被控訴人も争わないところである。即ち、国内法たる刑事訴訟法には、「権利の救済の実現」方法が規定されていないのであり、国内法に基づく救済はそもそも存在していないのである。にもかかわらず、「権利の救済の実現」は全て国内法によるべきであって、「それ以上のものではない」とすることは、そもそも、自由権規約一四条三項(f)に規定された保障は、法律の規定によっていつでも排斥することができるとするに等しいものである。このような「保障」は、法律の改廃等によっても「侵すことのできない永久の権利」(憲法九七条)としての基本的人権とは、到底いいえないものである。さらに、自由権規約をそのように取り扱うことは、「誠実に遵守することを必要とする」(憲法九八条二項)との言明にもかかわらず、条約を国内法より下のレベルに貶めるものである。

五、憲法が国の最高法規であることに鑑みれば、憲法の中で基本的人権として規定されているにもかかわらず、それを実施する法律がない場合には、憲法に基づき直接に当該保障の実施を求めて出訴することができると解される。現に、そのような立場を採った最高栽判決が存することは周知のとおりである(最高裁大法廷昭和四三年一一月二七日判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁)。この判決では、憲法二九条三項に直接に基づき補償請求をすることの可否が問題とされ、最高裁大法廷は、全員一致でこれを認めたのである。前記の被控訴人の立場に立てば、憲法でどのような規定がなされていようとも、その実施は法律の規定によるべきものであるから、憲法の条項に基づく請求は認められないこととなろうが、右のとおり最高裁は、このような立場を明確に排斥したのである。

本件は、条約(控訴人の一九九二年五月一三日付け準備書面第一、二及び三)ないし条約及び憲法(右準備書面第一、三)に基づく請求である。右の最高裁大法廷判決の趣旨に従えば、基本的人権を実施するための法律が存在しない場合には、上位法である条約ないし憲法に直接に基づく請求が認められるべきことは明白である。

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